【タロットがもっと深く読めるようになる!】しげおとがんじぃ ~ 正義 編~
第十一章 正義
~やさぐれ裁判所~
タロットが示す、本当の正義とは
思いやりを持てず、自分勝手に生きる者。お金を沢山持ち、傲慢になる者。酒やたばこに溺れ、街や空気を汚す者。不真面目に生き、常に人に迷惑をかける者。悪口や噂話を生きがいにしている者・・・。数え上げればきりがない。
これらの者たちに人権は無い。生きていてもしょうがないのだ。とはいえ、法的に存在を消してしまう事は出来ない。だったら、それ相応の罰を下すのが普通ではないのか?
でもおめぇはそんな風に生きてたら、たとえ自分が疲れていても、他人に思いやりを持ったり期待に応え続けなきゃいけねぇだろうし、貧乏で居なきゃいけねぇし、酒やたばこで楽しむことも出来ねぇし、常に人の目を気にしてなきゃいけねぇし、愚痴や不満も言えねぇんじゃねぇか?
それってすんげぇ生きづれぇと思うよ。
そして、お金持ちの人はな、その者たちが稼ぐことにより、たくさんのお金を回してくれる。税金もその一部じゃ。豊かな人が居るおかげで、我らは助かっている部分がたくさんある。この裁判所だって税金でつくられたものじゃろう?
それに、お金を払ってでも助けて欲しいという人も沢山おる。嫉妬や妬みの気持ちで他人がとやかく口出しする必要が無い部分なんじゃよ。お互いに納得しているんじゃからのぅ。
酒やたばこも、そのおかげでリラックス出来たり長生きしている者もいる。人間関係を円滑にしてもくれる。酒やたばこに溺れる者は、酒やたばこが悪いのではなく、その者自身の心の持ち方が原因なだけなんじゃ。
そして、人に迷惑をかける者は、他者に寛容さと人間的成長を与えてくれる。お互い様という言葉もここから生まれておる。迷惑を許さないと、戦争を生み出す事にもなるしのぅ。
愚痴や不平不満も、言いたい人にとってはそれが一種のコミュニケーションの一環にもなっておる。悲しいかな、愚痴や不平不満でしか人間関係を円滑に進められない人もおる。だからと言って、愚痴や不平不満をその人たちから取ってしまえば、その人たちは行き場を無くしてしまうのだよ。
やさぐれ正義 その後
だからでしょうか…。あなたがおっしゃったように私はとても生きづらく、常に頑張り続けなければいけない人生でした。
私が周りをジャッジしているからか、私の周りの環境もとても厳しいものでした。だがしかし、正義のはしくれとして、物事をジャッジせず、両面を見てみようと思った時・・・世界はとても愛に満ちていました。
私は自分で自分の世界を狭めていたのです。これに気づけたのは、あなたたちのおかげです。どうもありがとう。
しげおとがんじぃ よもやま話
それはな、犯人を擁護するのとは違うのじゃ。犯人の心境や生い立ち、それらを考慮した上で、適切な判決を下す事が大切じゃ。感情的になれば「許せない!」一択になるじゃろうが、大切なのはもう二度とそのような事が起こらないように我々が務める事。そのために、正義的視点が大切なのじゃよ。
人の正義は人の数だけある。どんなにツッコミどころが満載な人にでも、その人なりの正義があるのです。
自分の正義を押し付けるのは、時に「正義と言う名の暴力」になりかねませんし、そうなってしまうと「何が正義なのか?」とまた、堂々巡りになってしまいますしね。
相手の背景、事情をしっかりと考慮する。それとともに自分の背景、在り方、考え方も精査する事。そうして生き、いつかあなたの考えている事とあなたの行動が一致した時…目の前に起こる出来事に大きな変化が表れます。
ちなみに私は昔、とにかくジャッジがひどい人間でした。文中に出ているような感じで、思いやりを持たない人が嫌い。期待に応えない人が嫌い。お金持ちが嫌い。人に迷惑をかける人が大嫌い。不平不満愚痴しかいない人が嫌いだったのです。
そのため、自分にもそれらの事を禁止していました。
自分の事よりも相手の事。どんなに疲れてても相手の期待に応え続ける。お金持ちが嫌いだから、お金を持ったらすぐ使う。自分から貧乏になる。人に迷惑をかけてはいけないから、一人で頑張り続ける。不平不満愚痴を言わない…。
そうすると、どうなったと思いますか?
自滅ました(笑)人生辛すぎて、大変でした。
そこからでしょうか、「このままじゃいけない」と思い、色々な視点を取り入れたのは…。
それからというもの、私に正義が逆位置で出ることは格段に少なくなり、私の語彙力や器も大きく広がり、人生が本当にスムーズになり、自分自身も正当に評価されるようになったのです。
公平さ、平等さは人生を大きく変えてくれます。あなたもぜひ、このことについて想いを巡らせてみてはいかがでしょうか?
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